センスはどうやって身についていくのか?
今週のお題「いま学んでみたいこと」
私がいま学んでみたいことは、いわゆる「センス」とよばれるものは、どうやって身についていくのか?ということです。
私が、なぜセンスについて学びたいか?
なぜ、センスについて考えるようになったか。
今の世の中では、むかしよりもずっと、「センス」が必要になってきた。
現在では日々たくさんの情報を処理するコトが重要になってきているからです。
例えば、あなたが何かを学びたいとする。
プログラミングについて学んでみたい!と思って「プログラミング 学び方」と検索する。
そうすると、プログラミングの学び方が書かれているサイトがいくつかでてくると思います。
ただ、「その中から一番自分に合った、あるいは一番効率の良い学び方を選択できる力」
私はこれをセンスだと考えています。
このセンスがあるかないかで、どのような分野のどんなことでも、学ぶ効率が圧倒的に違ってくると考えています。
センスの差によって起きるコト
例えば私たち大学生を例にとると、
ある教授が、講義やゼミで、ふと放った一言が、自分の研究や学びにとても重要な情報であったとします。しかし、その情報が重要かどうかを判断するのは自分です。
その場合、その情報を重要だと判断できなければ、自分の研究や学びが少なからず、前よりも改善されただろうに、そのチャンスを逃してしまうことになります。
逆に、同じ話を同じような境遇で聞いた人が、その重要性を理解し、すぐメモにとり実践した場合、同じ境遇にあったにもかかわらず差が生じます。これが1つの講義に1回以上、1回のゼミで1回以上、教授だけでなく、友人や家族などでも起きていると、考えた場合、生涯を通してものすごく損をすることになります。
そもそも私がなぜこのようなことを考え始めたかをご説明します。
そもそもセンスについて考えたきっかけ
大学生活や企業活動をとおして、私はあるコトに気づきました。
同じ話を聞いていても、その話から得る情報の量、情報の質は、
「話しの内容」よりも「聞く側の力」に大きく左右されるということです。
これは、どれだけ重要な話をしようが、どれだけ重要な資料でわかりやすく伝えようが、それを聞く力が備わっていない人に対しては情報はほとんど伝わらないということです。
この聞く力が「センス」だと考えています。
簡単に定義するなら、センスとは、
特定の物事や事象に関する情報の、重要度を適切に判断する力という感じでしょうか。
センスは知識から生まれる説
ある本には、センスは知識から生まれるといったようなことが書かれていました。
たしかに、その話を理解し、適切な重要性を見出すのには知識が必要だと思います。
私もこれには同意します。
いわゆるセンスがある人とは、教養がある人に近く。
色々な角度から物事を見ることが出来たり、1つのことを深く考えることができたり、他のいろいろなモノゴトと組み合わせて考えることができる人です。
スティーブ・ジョブズはセンスがある人ですが、彼が生み出してきた革新的なデザインの商品たちは革新的なアイデアで生まれてきたわけではないでしょう。
今まで培ってきたいろいろな知識の組み合わせや、何が重要で何が余分なものかを判断すること、1つの商品をいろいろな角度から考えた結果、生まれてきたものだと思います。
センスを身につけるシンプルな方法
センスを身につけるにはひたすら誰よりも長く考えぬくことです。
これまでセンスの話をしてきましたが、このセンスを学んだり、人にセンスをつけてもらうのにはどうしたらよいか?を考えていました。
センスを身につけることができれば、今よりも短い時間でより良いモノを生み出したり、効率的に動けるようになります。
自分だけでもそれだけの効果があるものを周りの人に共有することができれば世界はより良くなると考えています。
しかし、このセンスを身につけるには、ひたすら真剣に多くのことを学ぶしかありません。プロフェッショナルと呼ばれる人たちの多くは毎日かかさずセンスを磨くために多くのことを学んでいます。しかし、それを学んでいることを見せないことが多いので、周りからは、あの人はもともとセンスのある人だ。と見られます。
そうではないのです。
センスはもともとあるものではなく、あることについて、長い時間をかけてひたすら学びつくし、試してみて、人に話し、他のことと結びつけたりすることで生まれるものです。